7月 042005
 

isologue -by 磯崎哲也事務所 Tetsuya Isozaki & Associates: 2人のクリステンセン
父との話の中で


リーダーを生み出す仕組みを作り、それを支える組織を作り出すことが必要という話をしていた。
父のリーダー論には、全然同意できないのだけれど、
生み出す仕組みと、支える組織が必要というのには同意。
ガバナンス制度はイケてるかどうか判断するだけで、
リーダーを生み出すことができない。
GEも、ウェルチというスーパーマンが作った学校から、スーパーマンが現れるかどうかはわからない。
リーダーを支える仕組みばかり発達すると、今の日本の官僚制度のように癌化してしまう。
したがって、イケてる経営者を生み出すのは、
イノベーションを許容し変化を望む人間だけを集め、
その雰囲気を作るという所に帰着されるのかな?とは思う。
結局はルールの優秀さではなく、運用する側、人間の問題。
何もガバナンスが間違いを犯さないっていう話はない訳で。

“米国では人材の流動性が高く、優秀な人材が大企業だけでなくベンチャー企業にも行き渡る。それが米国のダイナミズムを生んでいる。しかし、日本はそうではない-。よく、そんなことが言われるでしょう。でも歴史を学んでください。米国の産業と経済が本格的に始動した1880年頃から1970年代まで、大多数の米国人は大企業で働いていたのです。誰もがゼネラル・エレクトリック(GE)やRCA、ゼネラル・モータース(GM)で働きたいと望みました。ベンチャー企業は少なく、ベンチャーキャピタルという産業も存在しませんでした。
 そこへ、日本企業が市場の下の方から参入して攻撃してきたのです。米国の大企業は市場の上へ上へと逃れ、成長が止まり、従業員のレイオフが始まりました。そして、余った人材の行き場を確保するためにベンチャーキャピタルが誕生したのです。それが結果的に、流動性が高くて柔軟な社会システムを確立することにつながった。それを強いたのは、ほかでもない日本だったのです。
実物市場でなくファイナンスの側面から見てみると、75年には同時に証券の自由化が行われ、80年代のM&Aラッシュ等を経て、徐々に現在のようなコーポレートガバナンスが確立してきたわけです。
ライブドアのニッポン放送買収も、よく「80年代の米国のようだ」と言われました。確かに、今の日本がそもそも米国の20年前の姿だ、と考えれば、「日本ではまともな経営者は出てこない」とか「日本の土壌ではまともなVCは現れない」なんて悲観的な見方をしてる人も、「これから登場するんだ」という前向きな気持ちになれるかも知れませんね。
同様に80年代頃からソニーが革新的でなくなったとして曰く;
この問いに対する答えを持っていたのは、ミッキー・シェルホフ氏でした。25年にわたってソニーアメリカの会長を務めた人物です。ボストンからニューヨークへ飛んだ私は、ソニーの変調を示すいくつかの証拠を見せ、「80年頃に何かが起こったのではないですか」と聞きました。彼は、「ああ、それなら簡単な話ですよ。80年代頃までは、新製品の発売に関する最終決定は、すべて、盛田昭夫氏(故人)が下していたのです」
この後、ソニーにMBAが入ってきて過去のデータしか見なくなっていったという(ソニーのMBAのみなさんには災難な)批判になるのですが、もし、確かにマネジメントが過去のデータに頼ったことがソニー変質の主要因であり、企業にはクリステンセンの言うような破壊的なマネジメントが必要だとすると、コーポレートガバナンスとは、「独裁者を生まない仕組み」ではなく、「イケテる(”破壊的”な)独裁者を生み続ける仕組み」なのかも知れませんね。”
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