1月 062013
 

齢32を迎えて想う事

去年を振り返ると、沢山の初めてがあった。

1月 初めて上司が変わる
4月 初めてモノづくりに携わる
6月 玲が保育園に通い始める
7月 玲が始めて入院する
9月 玲と始めて2人きりの留守番、仕事で一定の成果を上げる
10月 始めての交通事故に遭う
11月 始めてCT,MRI,大腸カメラ検査を受ける
12月 奥さん、玲くん同時発熱。家事一切を請け負う。移動の話があったが他の人に。しかも、人数が3人に増える。

昨年のトピックは病気の疑いがあったこと。
最初にその話を聞いて思ったのは「死ねないなぁ」と。
息子が成人するのは見たいなぁとか、大切な人達を悲しませるなぁ…と。
散々、好きな事をやってきて、好き勝手に生きてきて、勝手にいなくなるのかなぁと漠然と思ってきたけど、もうそんな事は言えなくなった。
生へのモチベーションは自分の中にはあまり無く、家族や周りとの関係性の中にあるなぁと。
まだ、そう考えるに至ってどう行動に反映したらいいのかは、わからないのだけれど、後悔しないように、自分にできる事はしようと。
育メン、家事メン業に勤しむようになった。今年も引き続きできる限りの事をしていきたい。

今年は仕事面が正念場な気がするので、そちらで何か出来ればなぁと。
自分らしく、自分のポジションを明確にして仕事に向かいたい。

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 Posted by at 15:46
5月 072012
 

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昨年は失意と共に、桜を愛でる余裕も無かったけど、
今年も桜が綺麗な松島を息子と見て和む。
一歩一歩。

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 Posted by at 11:30
3月 202012
 

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wordpressアプリから投稿したんだけど、楽チン。
CMのキャッチフレーズ通りの使い方で笑える。

買って三日目なのでフリック入力に慣れてないけど…
もう少ししたら試したソフトのレビューなど書く予定。

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 Posted by at 15:50
10月 022011
 

 人生の目的,なんの為に生きてるんだ?って,うちのボス(当時の教授)は,いつも言っている。

さて,なんの為に生きてるのかなぁ

今生きてきてよかったなぁって思うのは,高専時代にラジオをやっていたことだ.企画から,運営,番組の作成などをばりばりこなしていた.

楽しかったなぁと.結局それを考えると,プロセスなんだろうなぁ.仕事のやりがいと.
評価や,報酬.そんなもんじゃないんだと.

結局自分を満足し,納得させられる仕事をしたとき,人生って満たされるんだなぁと.
全力で生きること.それが人生の目的なのかなぁなんて思ってみたり.やってるときは苦しいけど.
今考えると,後悔してない仕事ってあれだけだなぁ.
研究は全て後悔だらけ.ああ,全然勉強足りないなぁとか,全然さぼっちゃったなぁとか.
研究で,後悔しないぐらいがんばりたいもんだ.…これ以上頑張れとでも!?

考え、あんまり変わってないなぁ。

少しだけ変わった点といえば、「全力を尽くすと楽しくなる」という確信を得たことか。
自分としては不本意な仕事を割り当てられても、 全力を尽くしたら最後に「あ、次はこれやってみよう」とか、「もう少しだけ、工夫できたな。」と思うんだわなぁ。不思議と。

だから、今の仕事続けてられる。
そういう貴重な体験をさせてくれたボスには返しきれない恩がある。

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 Posted by at 22:30
7月 102011
 

6/19 23:46
2860g
48cm
少々弱弱しい産声と共に息子が我が家族の新しいメンバーとしてやってきた。
名前は妻と話し合って・・・というか一方的な自分の想いだけで「玲」と名づけた。
名づけのきっかけは、羽生当時名人の揮毫「玲瓏」という言葉から。
意味をは「玉のように透き通ったもの。それらがぶつかったときの美しい音」
この名前にした理由。
1.「玲瓏」になるまで自分を磨いて欲しい。
2.「玲瓏」な目と心で、物事を見通せる人間になって欲しい。
3.多くの人から呼びやすいRayという音
今も横で寝て・・・何かにおびえて手足をバタつかせている。
自分の子供だなぁという実感。これはだいぶある。
出産時も苦労したし、出産前もだいぶ心配したことがあったりしたので・・・
出産時・・・かれこれ3日間。6/16 AM3:20~6/19 PM11:46 3日間の死闘でした。
生まれてくる瞬間も、分娩室のドアに耳を当てて産声を聞いた。
すぐに他の子供と声を聞き分けられるようになった。特徴的だったので。
うれしい気持ちよりも、ただただほっとしたという・・・その後の妻はもっと心配だったのだけれど。
今日でちょうど3週間
週末しかあえないので、会うたびに変化を感じることが出来る。
体がしっかりしてきたりして、成長しているなぁと感じる。
そんななか・・・
自分の子供ということで、大きな責任も感じている。
厳しい世になっていく中で、自立した個を持ち、社会に貢献できる人間に出来るだろうか・・・と。
僕の教育方針は今のところは下記の通り。
「息子を常に信頼し、一人の個として認め、会話すること。」
「人生をenjoyさせること。」
ここでの「enjoy」の定義は・・・
「自分が感じたことを信じて、勇気を持って決断し、夢中で行動する。」こと。
彼を1人の個として認め、親が彼の生きる道を決めるのではなく、自分で決断できる人間になること。
そのための材料を親として、可能な限りそろえてあげるたい。
そのために、少しでも多くの経験や素敵な人から教育を受けてさせてあげたい。
その感想や話を少しでも目を見て聞いてあげたいと思う。
お互いがんばろう。玲君。

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 Posted by at 16:43
7月 102011
 

なんか、思いっきり横っ面ぶん殴られた感じ。
人は見たい物しか見ないんだな・・・と。自分自身痛感。
個人的に改めて考えさせられたこと
・両親と離れて暮らしていること
・地元が好きだったこと(それもとても)
○両親と離れて暮らしていること
 本当に心配だった。
 父は激甚被災地で勤務中。心配を通り抜けていた。
 連絡取れたのは約10日後。ポツリポツリと無事そうだという情報はあったものの・・・連絡が取れたときは安心した。こちらのほうが心配しているのがおかしかった。むこうからしたら無事だもんね。こちらの感動なんてお構いなしで「忙しいからきるぞ!」と語気強く切られてしまったり。
 震災後、すぐに母と連絡取れたのだけれど、津波到来後2日間連絡不通に。妹も震災直後には連絡が取れず、当日5時過ぎに「大丈夫!」と元気に電話をくれた。
 大阪に住む僕がハブになって、みんなの状況をやり取りすることに。
 会社でも構わずtwitterしまくり、炊き出し情報一番詳しかったりしました。
 普段、週1度ぐらいしか連絡してなかったのに、いざとなると・・・反省しました。本当に。
 今も平日連絡をとりつつ・・・孫の顔写真を嫌がらせのように送っています。
○地元が好きだったこと
 いや・・・これは自分でも予想以上に。
 なんか、もう毎日涙・・・結構報道のあった地域だったから、がんばっている人、自衛隊・・・もうね。見ていられなった。
  地元に帰ったときも、被災前の何事も無かったときの風景が一変していた。毎週釣りをしに通っていた岸壁がぼろぼろにされてるのを見て・・・言葉にならなかった。唖然とした。小・中学校の思い出が破壊されていたという感じで。
 壊されて気が付いた郷土への想い。果てしない無力感に苛まれました。
○直後にしたこと
 何が出来るのかわからず。とりあえず片っ端から基金やファンドの類に応募していました。
 また、twitter上に情報をfeedしていたりしました。地元塩竈に関係する情報を。
 でも、本当にやらねばいかんことは違うと。
 まずは、今の仕事で出来る事、ひとつひとつしていこうと考えて働いた。
 いつもより少しだけ余計に。
 
 ・一生懸命働いて、税金を納めること。
 ・今の仕事でがんばって、外貨を稼ぐこと。
○意識の変化
 自分の目標をだいぶ見直した。
 目標というか「自分の本分」。
 自分の持ち場で何をすべきか?ということ。
 震災前は、仕事の忙しさやつまらないいびりに負けて、遊びや、勉強に現を抜かして、本分から逃げている自分。それが嫌で余計に落ち込んだ自分がいた。
 でも、震災を通じて、それまでと少しだけ目標が変わりました。
 今の目標は「地元に仕事を作りせる仕事をする。」ということ。
 自らがするべき事をしっかりしよう、はっきり伝えていこう。と。
 怖いおっさん、馬鹿にする同僚、白い目で見る知人・・・そんなもの気にしないでいこうと。
 もう、何も怖くないじゃないか。そんなもの何するものぞ。と。
 中曽根元総理曰く
 「毎日、総理になったらする事を、やりたいことを綴り続けた。同期や後輩が追い抜かしても、あせらず毎日学び続けた。総理になれるか分からない。ただ、いつなってもいい準備を続けてきた。」
 いつでも、どんな事があってもいいように。
 日々の仕事を通じて、準備を怠らないようにしよう。
 あるかどうか分からない、そのときのために。

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 Posted by at 16:14
7月 022011
 

最近、同世代の人が国内MBA取得しているのを目にする。
国内でMBA取れる時代になったんだなぁと・・・思う。
ただ、もうMBAの旬って過ぎているのかなとも感じる。
MBAのカリキュラムで学べること。
Accounting… Finance… Human resorce… Management…
大学に行かないと身に付かない知識ではない気がする。
やる気があれば、別に知識を身につける術は転がっている。
では、MBAの価値ってなんだろうか。大学で学ぶ意味とは?
そもそも何故MBAのカリキュラムを受講する必要があるのか。
そこに疑問を持ったので、MBAを受講することをやめて、
現場に出ようと思い、転職活動を起こした事を思い出す。
・・・止めてしまいましたが。
最近、痛感するのは「A→B」にすることの難しさ。
正論は言える。
美しいプレゼンテーションを作ることは出来る。
だけど相手は、動かない。動かせない。
動かすために必要なfactを集める。
だけど、動かない。理解だけ示してくれる。
次に理解ある人間を探す。
相手を説得できる人、相手が信頼を置く人にアプローチする。
こうやって物事を動かすこと。
これがマネジメントの一側面だよな。と。
自分の考えを伝えて、部下やパートナーが動いてくれますか?
自分の提案を相手を説得したことがありますか?
自分が必要だと思うことを伝え、組織を動かしたことがありますか?
それが、大学で学べますか?
もっと、自分の周りで学べることはありませんか?
そこに気が付いたので、まだまだ現職を続けることにしました。

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 Posted by at 10:46
3月 122011
 

母と妹とは連絡が出来ました。
祖父母は避難先の名簿に載っていることを確認しました。
父と連絡が取れていません。

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 Posted by at 23:23