11月 142004
 

マネジャーになるための備え
至言だ。リンク切れが怖いので、メモとして残す。


 「生産性の高い現場労働者を育てる能力」が日本に現在ある。
 来世紀日本が生き残るためには
 「生産性の高い「知識労働」と「知識労働者」を育てる能力」を伸ばさなければ生き残る道は無い。
 生産性の高い「知識労働」と「知識労働者」とは何か?
 高い教育を受けた者、豊富な知識を受けた者だろうか?
 違うような気がする。
 CMプランナー、現慶応SFC教授の佐藤さん曰く
 「問題がはっきりした時点で、問題の半分は解決している。」
 なんか、普通の意見になってしまうけれど、問題を早く定義できて、素早く解決の方向に結びつけられるという事が大切なのではないだろうか?
 常に考えられる事の出来る人材。
 常に向上する事を心がける事のできるまじめな人材。
 厳しい時代だからこそ、謙虚で素直な人材が求められるのではないか?
–P・F・doragger says–
今日の教育ある日本の若者は、明日を担うマネジャーになるために、どのような備えをしておくべきだろうか。
唯一の最も重要なことは、彼らの大半が自分の価値を自分自身で決めなければならないことを自覚することである。その点について人事部を頼りにすることや、終身雇用制度や年功賃金を当てにすることは次第にできなくなっていく。しかし、それによって雇用の安定性は下がるかもしれないが、逆にチャンスは広がっていくことになる。要するに、彼らはこれまでよりもはるかに激しい競争環境、昭和の日本よりむしろ明治の日本によく似た環境で生きていくことになるのである。
雇用の安定すなわち終身雇用制度は、予測可能性の高い、非常に安定した経済を前提としている。1970年と1980年の日本、さらに1990年の日本にとって、それは現実的な前提であった。しかし2010年と2020年の日本にとっては誤った前提である。1970年と1980年の日本は、西欧の先進国がすでに成果をあげたもの、すなわち自動車や家電製品の製造において、それ以上の成果をあげることで西欧諸国をしのぐ国となった。したがって、2010年の日本は、「情報技術(IT)」や「新生産方式」といった新しい技術におけるリーダーとして卓越しなければならない。また、1970年と1980年の日本は低賃金の新参国であった。その恐るべき強みは、「総合的品質管理(TQM)」で見られたような生産性の高い現場労働者を育てる能力にあった。したがって、2010年と2020年の日本は、生産性の高い「知識労働」と「知識労働者」を育てなければならない。
1970年と1980年の日本は、世界的な経済大国として登場した唯一の非西欧国家であった。しかし2004年の日本は、すでに韓国をはじめとして中国やインドなど非西欧諸国からの厳しい競争による圧力を受けている。これらの三国はいずれも急速に世界的な経済大国になりつつあり、韓国は集積回路(IC)と家電製品で、中国は製造業で、インドはITで日本を脅かす勢いである。1980年の日本は(そして2004年の今なお)主要な輸出国であり、かつ国内市場から輸入工業製品の大半を締め出すことが可能であった。しかしこのような状態は、おそらく2010年の日本には許されない。主要な輸出国であり続けるために、日本は国内市場を開放し、外国製品との競争にさらす必要がある。
しかしながら、明治時代以降140年の日本が、このような急激な変化の時代に直面するのはこれが初めてではない。それどころか、このような変化をチャンスに変えることは、1000年前の平安時代から日本に特有の能力であった。しかし、そのような時代は安定せず、とりわけ雇用の安定性は低い。特に経営者やマネジャーの雇用の安定性は極めて低い時代である。
以上のことから、明日を担うマネジャーとして成功するために、教育ある日本の若者は次のことを自覚しておかなければならない。
–自分の強みは何か? 自分は何が得意か?
–自分の強みを十分生かすためには何を学ぶ必要があるか?
–自分の不得意なこと、そして絶対にすべきでないことは何か?
–自分の価値は何か?
–最後に、自分はどこに所属し、どこに所属していないか?
これらは140年前に、近代日本の創設者たちが真剣に向き合った問いである。渋沢栄一と岩崎弥太郎の両氏は、これらの問いを幾度も考えた。明日を担うマネジャーとなるために、今日の教育ある日本の若者は、再びこれらの問いに向き合い、答えを出さなければならない。

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 Posted by at 17:17