なんか、思いっきり横っ面ぶん殴られた感じ。
人は見たい物しか見ないんだな・・・と。自分自身痛感。
個人的に改めて考えさせられたこと
・両親と離れて暮らしていること
・地元が好きだったこと(それもとても)
○両親と離れて暮らしていること
本当に心配だった。
父は激甚被災地で勤務中。心配を通り抜けていた。
連絡取れたのは約10日後。ポツリポツリと無事そうだという情報はあったものの・・・連絡が取れたときは安心した。こちらのほうが心配しているのがおかしかった。むこうからしたら無事だもんね。こちらの感動なんてお構いなしで「忙しいからきるぞ!」と語気強く切られてしまったり。
震災後、すぐに母と連絡取れたのだけれど、津波到来後2日間連絡不通に。妹も震災直後には連絡が取れず、当日5時過ぎに「大丈夫!」と元気に電話をくれた。
大阪に住む僕がハブになって、みんなの状況をやり取りすることに。
会社でも構わずtwitterしまくり、炊き出し情報一番詳しかったりしました。
普段、週1度ぐらいしか連絡してなかったのに、いざとなると・・・反省しました。本当に。
今も平日連絡をとりつつ・・・孫の顔写真を嫌がらせのように送っています。
○地元が好きだったこと
いや・・・これは自分でも予想以上に。
なんか、もう毎日涙・・・結構報道のあった地域だったから、がんばっている人、自衛隊・・・もうね。見ていられなった。
地元に帰ったときも、被災前の何事も無かったときの風景が一変していた。毎週釣りをしに通っていた岸壁がぼろぼろにされてるのを見て・・・言葉にならなかった。唖然とした。小・中学校の思い出が破壊されていたという感じで。
壊されて気が付いた郷土への想い。果てしない無力感に苛まれました。
○直後にしたこと
何が出来るのかわからず。とりあえず片っ端から基金やファンドの類に応募していました。
また、twitter上に情報をfeedしていたりしました。地元塩竈に関係する情報を。
でも、本当にやらねばいかんことは違うと。
まずは、今の仕事で出来る事、ひとつひとつしていこうと考えて働いた。
いつもより少しだけ余計に。
・一生懸命働いて、税金を納めること。
・今の仕事でがんばって、外貨を稼ぐこと。
○意識の変化
自分の目標をだいぶ見直した。
目標というか「自分の本分」。
自分の持ち場で何をすべきか?ということ。
震災前は、仕事の忙しさやつまらないいびりに負けて、遊びや、勉強に現を抜かして、本分から逃げている自分。それが嫌で余計に落ち込んだ自分がいた。
でも、震災を通じて、それまでと少しだけ目標が変わりました。
今の目標は「地元に仕事を作りせる仕事をする。」ということ。
自らがするべき事をしっかりしよう、はっきり伝えていこう。と。
怖いおっさん、馬鹿にする同僚、白い目で見る知人・・・そんなもの気にしないでいこうと。
もう、何も怖くないじゃないか。そんなもの何するものぞ。と。
中曽根元総理曰く
「毎日、総理になったらする事を、やりたいことを綴り続けた。同期や後輩が追い抜かしても、あせらず毎日学び続けた。総理になれるか分からない。ただ、いつなってもいい準備を続けてきた。」
いつでも、どんな事があってもいいように。
日々の仕事を通じて、準備を怠らないようにしよう。
あるかどうか分からない、そのときのために。
7月 102011